そして、その最たるものが成人年齢の20歳から18歳への引き下げだ。それを定めた民法改正案が今国会で成立すれば、4年後の2022年4月1日に施行され、明治時代以来続く「大人」の定義を変える大改革となる。だが、なぜ今この改正をすべきなのかという本質的な議論はすっかり抜け落ちたまま、ただ成り行き任せで事が進んでいる。
そもそもこの議論は第一次安倍晋三政権の2007年に成立した国民投票法で、選挙権年齢の20歳以上から18歳以上への引き下げを定めたことがきっかけである。すでに私は過去に選挙権年齢だけを引き下げる矛盾を批判したが、それから10年以上も経ってようやく成人年齢引き下げの議論が始まったというのは、遅きに失している。しかもこの間、「成人とは何か」という考察は全く深まっておらず、したがって「成人」の定義もなされていない。
かてて加えて、議論の中身もお粗末極まりない。選挙権年齢が18歳以上ということは、18歳になったら選挙で投票できるだけの「大人」の判断力がある、ということだろう。ところが今回の改正案では、飲酒や喫煙は20歳以上、競馬、競輪、競艇などの公営ギャンブルで馬券、車券、舟券を購入できる年齢も20歳以上のまま据え置かれる。
国や地方の行方を決める投票では大人の判断力があるはずなのに、飲酒や喫煙や公営ギャンブルを禁じるというのは意味不明だが、これらの領域では18~19歳は「大人」とみなされていないわけだ。
その一方で、パチンコ・パチスロ店や麻雀荘には18歳から入ることができる。自動車の運転免許も18歳からOKで、バイクの運転免許にいたっては16歳から取得可能だ。パチンコや麻雀は公営ギャンブルよりも健全だ、バイクのほうが自動車よりも安全だとでも言うのだろうか? 全く理屈に合わない規定である。