2014年版では、構成資産の一つである「平戸の聖地と集落」の説明に、生月島の御前様の写真などが使われていたが、2017年版ではすっかり消えた。さらに、かくれの信仰について、「現在ではほぼ消滅している」との記述も加えられた。祈りを続ける生月島の信徒の存在は“消された”のだ。
◆キリスト教なのか、違うのか?
その経緯の全体像は拙著『消された信仰』に記したが、謎解きの一つの鍵は、信仰形態そのものにある。ある信徒の家に足を踏み入れると、信仰対象の「聖画」を挟んで右隣には「神棚」が、左隣には「仏壇」が据え置かれている。
信徒は毎日、聖画にオラショを唱えるが、それだけでなく、神棚や仏壇にも熱心に手を合わせる。一神教のキリスト教の考え方からすれば、複数の神様を拝む姿は、矛盾をはらんでいるように見える。
このような信仰形態は、禁教期に、“キリスト教徒でないこと”を証明するため、寺の檀家になったことなどで生まれたものだ。
明治になって信仰の自由を手に入れた時、少なからぬかくれキリシタンがカトリックに復帰した。しかし、生月島では、先祖が成熟させた並存の信仰形態を愚直に守ることを選んだのである。