初体験の時、騎乗位で快楽を貪る彼女に怖れをなした洋一も、今では〈肉体以上の何かを常に男に与えてくれる〉彼女によって、〈男は女といる時だけ男なんだ〉と実感でき、その女っぷりを独占してはならないと思うほど愛した。が、その香が突然姿を消し、〆太共々行方を探す洋一の行く手に、さらなる現代史の闇が待ち受けるのである。
◆「考える」とは身をもって交わる行為
さて本書には、実は西田さんの知人だった〈松本麻原〉や勝新太郎といったビッグネームまでが登場。当時のリアルな世相を交えつつ、物語はオウムが隠し持つ薬物の略奪作戦など、衝撃の結末へと疾走する。
「若者が宗教に走り、ベルリンの壁が崩れ、震災まで起きた1990年代後半、当時30代だった僕にとってもオウム事件は避けて通れないものでした。そこでオウムから覚醒剤を取り上げ、川に捨てる結末だけを決めて主人公二人を走らせたんだけど、結局、僕は目の見えない〆太に見える世界や洋一の考える行為に興味があったんだよね。
これは戯曲『小林秀雄先生来る』にも書いたけど、考えるという動詞の本質は『身・交える』なんです。つまり頭で考えるというより、身をもって何かと交わる行為が考えるだと小林先生は言っていて、〆太と交わり、香と交わり、答えの出ないことでも自分の身をもって考えるのが、洋一の『考える』なんです」
だからだろうか。〆太の生きる世界に思いを馳せ、香と交わることで真の快楽を知る洋一が語る世界は、発見に満ち、眩しいほどに美しい。かつて洋一は、香は在日朝鮮人だと自分に忠告した級友を殴り、区別や差別について考えたことがあるが、香と再会した今、彼は思う。