「公立は選手も集められないし、欲しい選手に試験を受けてもらっても、点数が足りなければ落っこちる。昔は入ってきた子を鍛え上げれば、全国の強豪が相手でも戦えたけど、いまは名門に行く選手は素材からして違う。だから部活動のできる2年半じゃ追いつけないんですよ」
私立全盛時代を見越したかのように、木内は私立常総学院の監督となり、80歳まで監督業を続けた。茨城出身の選手を揃え、2003年にはダルビッシュ有を擁する東北を破って2度目の夏日本一を達成。通算勝利数は40を数える。
「オレは野球を通じて人を作ってきたつもり。選手には『勝たなきゃ面白くなかっペよ』と言い続けてきた。茨城の子しか預かったことがないからよかったけど、県外の選手なら茨城弁が通用しねえからダメだったっぺ」
栄光を収めた写真や県民栄誉賞の賞状に囲まれた自宅のリビングで、米寿を目前としても木内節は現役だった。(文中敬称略)
●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者)
※週刊ポスト2018年8月10日号