「15才からピアニストを目指す」という異例中の異例でありながら、音大に合格しNYへ渡ったピアニストの西川悟平(43才)。27才の時、ジストニアという神経の病にかかり「一生弾けない」と宣告される。それから、動かない指がありながらも、不屈の精神で、7本指で弾き続けた西川。
「アメリカと日本。対極の2つの国で演奏した経験を、次世代に引き継ぎたい」と、語る。
西川は、帰国するたび忙しい合間を縫って子供たちにピアノレッスンをしている。生徒の1人である山下我雲生くんは、7月に開催されたルーマニアのトランシルヴァニア国際ピアノコンクール(11~14才の部)で見事2位を受賞した。世界的なコンクールで日本人の11才が賞をとるのは奇跡に近い。
「1つの音にどう心を込めるのか、またどう指を動かせばきれいな音が出るかを教えていただいて、ピアノでどう自分を表現したらいいか少しわかった気がする」(山下くん)
山下くんの将来の夢は、西川と同じ舞台に立つこと。
「悟平先生といつか一緒に舞台に立って、ぼくが作った曲を演奏したい。オーケストラと悟平先生のピアノを前に、ぼくが指揮をする。その日のために、初めて曲も作りました。『これからも』というタイトルのピアノ曲です」
こう言って目を輝かせる山下くんに、西川は「絶対できるよ」と力強く肩を抱く。2人が共演する日は、遠くないのかもしれない。
7本指になったからこその出会いもあった。アメリカのセントルイスに住み、日本に行くのが夢だった若きピアニスト、故リアム・ピッカーくん(2015年逝去。享年18)はその1人。
「出会ったのは、彼の死後。うつ病による自殺だったそうです。リアムの両親が、生前に書き残した『Winter』という曲をぼくにアレンジして演奏してほしいと依頼してきたことがきっかけで、もうこの世にはいない少年との“共同制作”がスタートしたのです」
両親は、YouTubeで目にした西川の演奏に心奪われ、コンタクトを取ったのだという。セントルイスは西川の住むニューヨークから1500km離れた都市だ。
「引き受けると決めてすぐ、現地に飛びました。彼がどんな少年だったのか知りたい一心でした。自宅を訪れ、墓参りをし、最後は『彼が自殺した部屋に泊まりたい』と申し出ました」