折しも「カトリック聖職者 性的虐待問題」が大きく報じられている(朝日新聞八月三十日付)。
記事によると「聖職者による子どもへの性的虐待」が「長年隠蔽された問題」でローマ法王が「批判の矢面に立たされ」、訪れたアイルランドでは抗議デモも起きた。
この問題は既に二〇〇二年にアメリカでも発覚し、オーストラリアの調査委員会は「カトリック聖職者の独身主義」がその一因と指摘した、とも記事にある。
この一因は根が深い。ホーソン『緋文字』にも映画になった『薔薇の名前』にも同種の問題が描かれてきた。
といって、聖職者に“健全な性”を認めてしまうわけにもいくまい。宗教上の戒律やタブーは、世俗の人間から見て何の合理性がなくとも、神の命令だからこそ守らなければならない。まして、“不健全な性”である獣姦、児童性愛、乱交、SMなどは、聖職者であろうとなかろうと許されまい。
しかし、報道されたような批判や抗議デモがあるだけキリスト教はまともだと言える。日本の仏教界はどうか。
浄土真宗は別だ。肉食(にくじき)妻帯上等、悪業があればあるほど阿弥陀様が救って下さるというのだから(これ、本当に仏教か)。それ以外の各宗派では、少なくとも僧侶の女色は禁止されている。