佐藤:いや1度、そうした組織に籍を置いた身からいえば、もともと彼らに高尚な職業意識はないですよ。
片山:私もそう考えます。テレビや映画で特別な志を持つ国士的な官僚が美化されて描かれていることに違和感を覚えてきました。
佐藤:現実からかけ離れた特別な志を持つドラマチックな官僚のイメージを作ったのが、作家の城山三郎です。その最たるものが、政策実現に命がけで取り組むアツい通産官僚が登場する『官僚たちの夏』です。
片山:城山三郎は、官僚に限らず、清く正しい政治家や企業人を好んで描いた。戦争末期、海軍の志願兵になった城山は軍に大きな疑問を抱いた。それが反転して非軍人はまともなはずと思い入れた。
佐藤:その幻想がエリート信仰と合わさって再生産されていった。官僚幻想を広めたもう一つの嚆矢が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』です。社会学者のエズラ・ヴォーゲルは、高度経済成長を分析し、通産省や大蔵省を絶讃しました。
片山:けれども、幻想はあくまでも幻想です。城山三郎は戦前も戦後も、個人的な使命感を持った立派な官僚がいたと言いたいのかも知れませんが、所詮はフィクションに過ぎなかった。
佐藤:標準的な官僚の基本は、休まず、遅れず、働き過ぎず。いまも昔も官僚は、現実的な与見のなかでしか物事を発想しない。仮にいまの外務官僚なら北方領土を取り戻すとか、警察官僚なら過激派を撲滅するとか。そのような与見のなかで働いている。場合によっては命を賭けることも厭わない。でも与見を超える異常な志を持つ人間はまずいません。そもそもそういう人間は官僚になろうとは思わないはずです。