「土俵の鬼」の伝統を継承してきた元親方の中には、相撲への強い思いや固い信念、一貫した正義があることは衆知のとおりだ。だが、これらこそが、ここまで元親方の態度を硬化させた「過信効果」につながったと考える。人は何かを判断する際、自分の判断が正しいと信じる傾向があり、自信がある人ほどこの傾向が強くなるといわれる。土俵の鬼と言われた花田家の伝統を継承し、相撲における自身の正義と信念を貫ぬき、平成の大横綱として数々の業績を積み重ね、一代年寄となって部屋を興し、相撲協会の改革に取り組んできた元親方だ。自分の判断は正しいと信じるあまり、聞く耳を持つ気にならなかったのではないか。
相撲協会も、そんな元親方との間にできた溝を積極的に埋めようとはしなかった。一門のどれかに入ることを義務付けておきながら、これを公表しなかった。通達が元親方に知らされたのは9月の秋場所だったという。引退会見の後、今度は相撲協会の芝田山広報部長が会見を行い、「そのような事実はない」と元親方の主張を否定した。
すでに互いの間には信頼がなく、情報を共有し、どうするのが互いのためになるのか、相撲界のためになるのか考えていこうという意識が薄かったのではないだろうか。話し合い、交渉しようという気が相撲協会側になかったように思えるのだ。
このような相撲協会の状態は、「内集団バイアス」からくるものである。仲間や身内に対する「内集団ひいき」は誰にでも起こりうることだが、これがあると自分が所属している集団以外のメンバーに対して、差別的になる傾向があるのだ。一度は折れて、相撲協会に協調しようとした元親方だが、彼の対立姿勢をさらに強めさせることになったのは、相撲協会の中にあったこの内集団バイアスだろう。その人を内か外、どちらのメンバーと捉えるかで、無意識のうちに相手に対する好意や姿勢は変わってくる。相手はそれを敏感に感じ取る。理事の親方衆の気持ちからすれば、元貴乃花親方はとっくに内集団のメンバーからはずれていたのだ。そして過信効果の強い元親方は、一兵卒としてやり直すと言いながら、集団になじむより、親方衆の内集団バイアスに背を向けたのだろう。
さて、今度は貴ノ岩が元日馬富士に賠償請求訴訟を起した。貴乃花部屋の消滅で一見落着するかに見えた相撲協会だが、まだまだ波風は収まりそうにない。