慣れ親しんだ雑誌の休刊と、薄々分かっていたものの二丁目での無風状態は、ゲイバーでの私の飲酒ピッチを早くしていく。元来私は飲むと決めたら酎ハイ類を水のようにどんどんやる性質があるが、今次は更に拍車がかかる。
なぜ小川があんな醜悪な「作文」を書いたのか。そしてなぜ同雑誌は該人物の「作文」を載せたのか。『新潮45』休刊決定以降現在に至るまでその余熱は冷めやらず、まるで重度の脳震盪のように出版業界全体を揺さぶり続けている。
いろいろな説があるが、答えは簡単だと思う。書いた方も載せる決断をしたほうも愚鈍だったのだ。文芸誌の『新潮』の方で、作家の高橋源一郎が一連の騒動について緊急寄稿していた。高橋は小川の著作を読み込んでみると、小川に一抹の憐憫を感じたというが、至って優しすぎると思う。
私は世界がひっくり返ってもインパールで四万の将兵を「死なせた」牟田口廉也を好きにならないし、正当化する事はできないが、今回の件も同じだと思う。可哀想とも、仕方がないとも思わない。全てが間違いで、全てが無計画と無責任であった。表現の場所をつぶした責任は、やはり万死に値する。ヤマザキマリ先生の連載漫画『プリニウス』はどうなるねん。どう責任取ってくれるねん。
我が国のLGBTに関する職場の意識調査によると、LGBTへの「嫌悪感を感じない」と回答する割合は二〇代で男女平均七一%に達した。五〇代までを含む全体でも六五%だった(二〇一六年、日本労働組合総連合会調査)。これは皮膚感覚として当然の結果だ。
米女優、アンジェリーナ・ジョリーはデビュー当時からバイセクシャルを公言してはばからない。日系米人女性と交際していた事を明言している。でも、だからなんだというのか。却って該女優の性的魅力は増すばかりではないか。LGBT支援の何が問題なのか、私には未だに良く分からない。