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2018.12.01 16:00  NEWSポストセブン

佐々木蔵之介の『黄昏流星群』 中年のときめき爆発に違和感

 夕暮れ時、行き交う人の顔がよく見えなくて「あの人は誰?」と問う「誰そ彼(たそかれ)」から、「たそがれ」という言葉は生まれました。「黄昏」を「たそがれ」と読ませるのは当て字ですが、「昏」は「日が垂れる」つまり、太陽の光の量が少なくなり、だんだんに先が見えにくくなってくること。

 ドラマのタイトル「黄昏-たそがれ」という言葉は、そのように深い意味を持つはずです。「俺の人生って何だったんだろう」と内省し、さみしさを噛みしめた先にやっと見出す、ささやかな希望の光……人生の酸いも甘いも含めた「複雑さ」を描き出すことが、このドラマの土台になるはず。

 もちろん出向先の新しい職場で完治が戸惑ったり、夫婦間に吹くスキマ風の描写もあるのですが、そのあたりの味つけがどうにも薄く、むしろ新たな恋愛にうきうきしている完治の方が印象深く目立ってしまっています。

 専業主婦・真璃子(中山美穂)も似たようなことが言える。夫の行動を不審に思い浮気を疑うけれど、さほど執着するわけでもなく夫を女から取り戻そうと髪を振り乱し躍起になるわけでもなく。

 それより娘・美咲(石川恋)の婚約者、春輝(藤井流星)にうっとりと恋心を抱く。娘の婚約者ですから20歳余りも年下。そんな若い男が、そもそも婚約相手の「母」にむかってモーションをかけますか? キスを迫りますか? この設定、原作にはない新たな要素として加えられましたが、益々掛け違い感を高めてくれています。

 おそらくこのドラマの放つチグハグ感とは、原作に漂う「中年の悲哀」という基本要素が、十分に伝わってこないところから生じているのではないでしょうか?

 先が見えなくなりとまどう中年。しかし、成熟した世代だからこそ発見できる新たな希望の形もある。複雑な人生の綾が織りなす、切なくて甘い大人の物語を視聴者は見たいのですが。

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