「本当に自分が“解脱”を求めていたなら、そして、おかしい、と思ったら麻原のもとを離れなければなりませんでした。そうあるべき自分が“そうではない、これについていかないといけない”と思い、若さで妥協してしまいました。
しかし、“若い”からこそ、私は離れなければなりませんでした。お釈迦さまは、自分の師から離れ、自立していきます。師から学び、そこから自立してこそ、本当の弟子のはずです。それなのに、私はオウムの中でただ“盲信”してしまい、おかしいと思っても、黙っていました。そこに私の弱さがあったんです。その意味で、すべての罪はわが身にあり、と思っています」
すべての罪はわが身にあり、と嘉浩は何度もくり返した。
「坂本弁護士事件も、私は、薄々気づいていました。これはおかしい、と心の中で思っていました。でも、その疑問を口に出さず、黙っていたんです。完全にわかったのは、もちろん逮捕されてからですが、なぜ、それでも(オウムから)離れられなかったのか、それが私の罪なんです」
坂本事件(*2)にも触れながら、嘉浩はこうつづけた。
【*2/1989年、オウム真理教幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた坂本堤弁護士(当時33歳)の一家3人を殺害した事件】
「私が十六歳でオウムに出会ったこと、これも自己弁解にすぎません。私には、(師を)止められるはずだったと思います」
私の脳裡には、その時の嘉浩の声が今も残っている。
◆罪の「償い」とは