「中川から指示があったのは、午前八時台か九時頃。だから午後早くに帰ってくることができた。午前十一時前後に指示があっても、とても上九(上九一色村)に帰ってくることなど、できませんでした」
嘉浩のその話が、裏づけられていたのである。假谷事件の認定事実は間違っている──中川証言に疑念が生じてきたことで、伊達を中心とする井上弁護団は、地下鉄サリン事件も含めて再審請求をおこなった。
(井上嘉浩の判決は一審の無期懲役こそ正しい)
伊達弁護士は、そのことに確信を持ったのである。
これを受けた東京高裁刑事八部の動きは早かった。二〇一八年五月八日、再審請求書の提出から、まだ二か月も経たないというのに、再審請求に関する「進行協議」が早くも始まったのだ。そして、さらに二回目の進行協議が、七月三日に開かれた。伊達によれば、
「検察官は、九五年三月一日の井上君の携帯電話の記録の存在を認めました。そして二週間程度でこれを開示できる、と約束しました。高裁はこれで次回の進行協議を八月六日に指定しました。いよいよ真相解明に動き出したんです」
だが、その真相究明への道は、法務省によって突然、断ち切られた。進行協議の三日後、七月六日に嘉浩を含む麻原ら七人のオウム死刑囚に絞首刑が執行されたのである。
(そんな、バカな)