南方戦線にも多くの朝鮮人軍属が動員された
だが、その外観を覗くことは出来た。「物置」と形容するに等しい半廃墟の青色の10坪に満たないであろう母屋がそれであった。前述『運命』には、宮古島台風で屋根が吹き飛ばされた──、という記述があるので、当時のままの原型では無い。だが、到底現代人が住めるような物件では無い。
1950年当時、まだ韓国の大部分が貧しかった時、このレベルの文一家の生活水準ですら「極貧とまではいかない」というのだから、韓国の苦難と発展の歴史が分かろうというものだ。この片田舎の、既にツタ植物が繁茂して完全廃墟になりかけている物件こそが、文在寅の「生」である。
◆歴史を忘れた民族、無関心な民族
釜山訪問の最終目的地として選んだのは、釜山市の中心部に建つ国立日帝強制動員歴史館である。現在、韓国大法院(最高裁)の新日鐵住金や三菱重工への徴用工賠償金支払い命令で、日韓関係が大いに揺れている中、どうしても私は徴用工問題を広く知らしめるための同館に行きたかった。
なぜこの博物館がソウルでは無く釜山にあるのかと言えば、日本統治時代に内地の炭鉱や鉱山で労務者として働いた朝鮮人徴用工が、帰国の第一歩を記したのが、この釜山だったのである。海路しか手段の無い時代、半島の中で最も日本に近い玄関口はソウルでは無く釜山であった。
同館は総工費約53億円を投じて韓国政府が建設した豪勢な建造物で、地下4階地上3階の計7階を誇る。2015年に開館したばかりの同館は、地元学生の格好の見学場所になっている。