この絆の深さを、私は墓所の中に観た。文在寅自伝『運命』(岩波書店)によると、盧を追悼する敷石の一つに、文在寅の寄贈品があるという。警備員に聞くとそれはすぐに見つかる。
盧は「金権腐敗」として徹底的に指弾されたが、文在寅によると盧の死後、財産整理をすると資産らしいものは無く、借金の方が多かったという。盧武鉉を政治の世界に送り出し、またその死を見届けたのは、現大統領文在寅その人である。
◆貧しい生家
釜山の中心部から南西に約60キロの場所に、済州島に次ぐ韓国第二の島、巨済(コジュ)島がある。私はタクシーで橋梁を渡って第二の目的地に向かう。なぜ巨済島か。「生と死」あるいは「死と生」が隣り合わせであるように、烽下村が盧武鉉の「死地」ならば、巨済島は文在寅の「生地」だからである。
前述『運命』によれば、文在寅の両親は朝鮮戦争勃発直前、現在の北朝鮮興南(フンナム)区域に在住し、戦争中に米軍の輸送船でこの地に避難してきた難民の家系である。
当然、幼少時代の生活は貧しさを極めた。父親は季節商、母は行商をして一家を支えた。少年時代の文在寅は、この巨済島で理不尽な貧困と格差に耐え抜いた。まさに文在寅の人格形成期の原風景こそが巨済島なのである。通訳の方から「田舎」、とは聞いていたが、やはり想像通りの田舎であった。
しかし政権が誕生した2017年以来、高支持率を誇る文在寅の生家は自然と観光地となり、誰が立てたかは知らぬが「文在寅誕生の家」という看板まである。現在「生家」は別人所有の私有地になっており、敷地内に入ることは出来ない。