「すべてをやり尽くし、引退を決断した」と話す吉田さんは、何度も頷きながら「ありがとうございました」と立ち上がって頭を下げた。引退までに「東京オリンピックに出たいなという気持ちがあった」と話し、首を傾げ、身体も少し傾け気味に揺らした。東京オリンピックを前に気持ちが揺れていたことが、その仕草から推測できる。
だが、彼女の中では、発言の通りやり尽くしたという気持ちの方が強かった。「伊調馨選手が東京オリンピックを目指すという発言を聞いて、心は動かされなかったのか」という質問を投げかけられても、記者の顔をまっすぐ見つめて頷くのみ。視線そらすことも、身体が揺れることもない。「自分は自分、人は人と教えられてきた」「やり尽くした、やり切った」と上を向くように言い切った。そして明るく、伊調選手を「すごいなと思った」と話したのだ。自分の気持ちにしっかりと区切りを付けたからこそのこの一言は、彼女が言うように、次の吉田沙保里に向って気持ちが切り替わっていることを感じさせる。
ところが、高速タックルを強みとしてきた彼女でも、次の夢はタックルのようにはいかないらしい。吉田さんは次の夢について、「女性としての幸せは、絶対につかみたい」と照れながら答えたのだが、この時ばかりは語尾や声のトーンが微妙に上がったり小さくなったりした。レスリングについて話している時とは随分と違い、「自信満々」とはいかないようだ。だが、そんな彼女のはにかむような表情も、女性らしいメイクが引き立てていた。そこにいたのは最強女子ではなく、夢に向かう1人の可愛い女性だった。
どの質問にもまっすぐ相手を見て、明るくしっかりと答えていた吉田さん。「レスリングとは」という質問には、晴れ晴れと輝くような表情で「人生の1つ」と答え、最後に母の幸代さんから花束の贈呈を受けると、2人揃ってにこやかに記念撮影に応じた。
「第2の人生は明るく、笑顔で元気に頑張っていきたい」と語ったように、明るく、笑顔で元気に、そして爽やか晴れやかに、吉田さんはこの日、その第一歩を踏み出した。