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2019.02.08 07:00  SAPIO

欧州随一の親日国、ポーランドで語り継がれる日本の孤児救出劇

ウラジオストクに集合した出港前の孤児たち。日本が救出した孤児は最終的に765人を数えた 写真提供/日本赤十字社

◆君が代を歌った孤児たち

 ではなぜシベリアにポーランド人が? 19世紀、ロシア帝国の支配下にあったポーランドで独立を勝ち取るための、民衆蜂起が始まった。

 1830年の11月蜂起、そして1863年の1月蜂起でポーランド人が立ち上がった。だが、圧倒的軍事力を誇るロシア軍に制圧され、その結果多くのポーランド人が政治犯としてシベリアに送られたのだった。

 さらにその後の第一次世界大戦では、国土がロシア軍とドイツ軍の激しい戦場となったため逃れてきた人々が加わり、当時シベリアには15万~20万人のポーランド人がいたという。

 戦後、ポーランドは独立を回復したが、大戦末期に起こったロシア革命によって祖国への帰国は困難となった。シベリアのポーランド人は、ロシア内戦の中で凄惨な生き地獄を味わわされ、多数の餓死者や病死者、凍死者を出したのだった。

 こうした惨状を知った極東ウラジオストク在住のポーランド人、アンナ・ビエルケビッチ女史らが「ポーランド救済委員会」を1919年に立ち上げ、「せめて親を失った孤児だけでも救わねば」と東奔西走した。当初は米国の赤十字が動くはずだったが、肝心の米軍が撤退となってはどうしようもなかった。

 そこで1920年6月、ポーランド救済委員会は地理的にシベリアに近く、また軍を派遣していた日本に救援を打診した。すると日本の外務省が日本赤十字社に救済事業を要請し、日本赤十字は、陸軍大臣の田中義一と海軍大臣の加藤友三郎に合意を得て救護活動を決定した。早くもその2週間後、ポーランド孤児らを乗せた輸送船がウラジオストクを出発し、福井県・敦賀港に到着したのだった。

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