矢部:そんなダルちゃんは最後、ダルダルしても許される職場に転職しても擬態を続けますが、のびのびと働き始めますよね。
はるな:それは彼女なりに心地良い状態を探り当てた結果の姿であって、それが普通だからという理由では擬態しなくなったんですよね。だからもう苦痛じゃない。ダルちゃんが素の自分を受け入れて、その上で擬態することを認めて許しているのであれば、それは幸せなことじゃないかと。
「人から良く思われたい自分」に気付く
矢部:はるなさんの作品はマンガの勉強も兼ねて読んでいて、自分が描きたいものに近いなと感じていました。『ダルちゃん』は絵柄がすごくかわいいのに、内容は切実。主人公のダルちゃんが心をさらけ出して綴った詩を読んで、先輩OLのサトウさんが、「嘘がなくてほんとうのことって感じするよ」と真剣に語りかけるシーンは特にグッときました! いい詩には本当のことが書いてあるんだ、『ダルちゃん』にも本当のことが書いてあるな、って。
はるな:連載をしていた資生堂の「ウェブ花椿」さんが詩の公募をしていたことから、ストーリーに詩を絡めることはコンセプトにあったんです。公募を通じて主婦や会社員など世間一般の方々がこれほどまでに創作意欲に溢れていることに驚いた、という編集長のお話をうかがって、どんな経緯でみなさんが詩へ辿り着いたのかという視点から描いてみたいと思いました。マンガよりも小説よりも、作者がさらに内面へ向かうことで表現されるのが詩だと思うし、いい詩を作るということは深く自分に向き合うということなんじゃないか、って。
矢部:僕自身、カラテカの矢部太郎としてお笑いをやっている自分や、マンガを描いて漫画家っぽくやっている自分――それぞれにちゃんと向き合っているかと問われると、それはちょっと違う気がして……。『ダルちゃん』と自著の『大家さんと僕』を読み比べると、“あぁ、僕は本当に人から良く思われたい人間なんだな”と感じます。
はるな:矢部さんはそうやってご自身の内面と向き合って作品にしているのが、すごく正直だなと思います。大家さんがご高齢と知った先輩から、もしも大家さんが亡くなったら……という話をされたことで、思わず“遺産かぁ”と頭をよぎってしまったエピソードを、そのままマンガに描いてしまうところなんて、純文学的ですよ!
矢部:あはは。でもそこもマンガ内のセリフとしては、先輩に言わせていますからね(苦笑)。自分も被害者っぽく描いちゃう僕は、ずるいんじゃないかなぁ。
はるな:それをずるいと考えるのが素直だし、人としてまっすぐなんだと思います。矢部さんが“良く思われたい自分”を発見して、その姿を社会へ開きながら創作をやらなきゃいけないというのはしんどいだろうな、と。
矢部:それはそうですねぇ……。
はるな:すごく大変なことじゃないですか。私は、詩を通じてそれをしている人たちへの“頑張っていますね”という純粋な想いを作品に込めたかったんです。
読者の反応が怖くて泣いた
矢部:実際、はるなさんの『ダルちゃん』を読んで励まされる部分はたくさんありますよ。旅公演先でも持ち歩いていたんですが、途中でズドーンと考えさせられても2巻の最後まで読んでみると「頑張ろう!」と元気が出ます。
はるな:ありがとうございます。だけど、心配してくれる先輩のサトウさんを嫌いになるなど、ダルちゃんのキャラクターは最初の頃あまりにもかわいげがなかったので、読者のみなさんの反応が実はすごく怖かったんです。どんな批判がくるかと想像しては、家で泣いたりもして。
矢部:まだ批判がきてないのに! 実際に批判がこなかったのは、ある部分でみんなが共感できたからなのかもしれないですよね。人が本気で内面に向き合って、誠実に自分の気持ちを書いているものに対して、批判の気持ちは起きないんじゃないかと思います。
はるな:うぅ、泣きそう~。