そのうえで、万波氏は日本の腎臓病治療のあり方にこう問題提起する。
「諸外国では移植手術の件数がどんどん増えている。しかし、日本では透析患者ばかり増え、移植の数は10年前とほとんど変わっていない。理由は行政のシステムや法整備の違いとしか言いようがない。外国ではドナーを増やし、移植を推進しているが、日本は『透析でいいじゃないか』で止まり、患者は『死ぬよりいい』と我慢させられている。中には、透析の苦しみから逃れるために、海外に行って移植手術を受ける人がかなりいる。これが現実です」
2006年当時、厚労省は万波氏の処分を検討したが、患者たちから万波氏を擁護する運動が広がり、責任を問われることはなかった。それから11年が過ぎた2017年10月、厚労省は病気腎移植(修復腎移植)を「先進医療」として認める決定をしている。
今回の福生病院の問題では、結果として「患者を死に至らしめた」ことに批判が集中した。だが、そうした外科医の「医の倫理」を糾弾するばかりでは「透析に苦しむ患者を救う」という「医の役割」が蔑ろにされている現状から目を背けることになりはしないか。
透析でしか生きるための選択肢が与えられていない日本の腎臓病治療のあり方を根本から考え直すべき──万波氏は、そう問いかけている。
※週刊ポスト2019年3月29日号