秦王・エイ政が即位したとき、中華ではすでに500年も戦乱の世が続き、200余あった諸侯が7つの国(戦国七雄)にまで淘汰されていた。その中からもっとも西に位置した秦が抜け出し、東方六国を次々と滅ぼしていくのだが、『史記』に李信の名が初めて登場するのは、現在の北京市周辺にあった燕(えん)の国を攻めたときで、年若く逞しい李信は総大将・王翦(おうせん)の指揮下、数千人の兵を率いて燕の太子丹(たいしたん)を追い詰め、みごと討ち果たす功績を挙げている。
秦王・エイ政も李信に期待するところが多く、次に楚の国を攻める際も、老将の王翦が「(兵力が)60万なくては敵いますまい」と答えたのに対し、李信は「20万人あれば十分」と答えた。これを聞いたエイ政は李信を総大将に任じるのだが、若さゆえの逸りというべきか、李信は罠とは気づかず楚の領内深く侵攻したところで進退に窮してしまった。
そこでエイ政はやむなく王翦に頭を下げて出馬を請い、60万人の大軍を授けて出陣させるのだが、結果、おいしいところはすべて王翦に持っていかれ、李信は王翦の引き立て役で終わってしまう。『史記』に出てくる李信は道化じみた存在であった。
【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『春秋戦国の英傑たち』(双葉社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など多数。