「民営化を実現するため、最初に松崎に接近したのは葛西氏で、そこには何らかの密約もあったと思う。ところが井手や葛西はJR発足後本性を現わした松崎を見限り、松崎の怨念に曝されていきます。
一方で労使は対等、〈ニアリー・イコール〉だと言う松崎になぜ松田氏が同調したのか、私は不思議でね。本人に聞いてみると北大の大学院で労働法を専攻した彼が今でも松崎を庇うくらい、術中に嵌ってるんです。
組合が人事や設備投資計画にまで口を出し、会社側もそれを平気で許すなんて、まさに経営権の放棄でしょ。そんな異常事態が長年放置されてきた背景にはやはり暴力に対する恐怖があったのではないか。実は松崎自身が言ってるんです。革マル派には革マル中央と松崎の革マルがあり、JR革マルは松崎組だと」
現に中核派等による東労組幹部襲撃事件の死傷者は10数名を数え、〈次は松崎だ〉との犯行声明も出されたが、その松崎側も脅迫・盗聴や人事介入により、JR内で権力を掌握していく。
公安も1996年以降は革マル派の摘発に動き、2007年には組合費をハワイの別荘購入に私的流用した容疑で松崎の強制捜査に踏み切るが、結局は不起訴に。が、ダメージは大きく、東労組内でも松崎批判の声が高まる中、彼は間質性肺炎で、平成22年12月、享年74でこの世を去る。