「2017年に発表された『騎士団長殺し』(新潮社)にも、南京虐殺の記憶について“重しをつけて深い海のそこに沈められたんだ”という表現があります。今回、村上さんはその重しを取りに行く勇気を得て、実際にひとつの重しが取れたのでしょう。
村上さんは『ねじまき鳥クロニクル』(1994年)くらいから人間の邪悪さを具現的に描き始めています。根源的な悪を描くという春樹文学のルーツは、父親が抱えていると思っていたどす黒いものに、少なからずあったのではないでしょうか。彼にとって小説を書くことは、そのパンドラの箱を自ら開く作業だったのだと思います」
父親と死別してからは、小説中の父の描き方が変わった。
「それまでの村上作品では、妊娠しても子供は決して生まれませんでした。ところが『1Q84』(2009年)からは、親になることをポジティブに描くようになり、『騎士団長殺し』では、男の側がほとんど押しかけるように親になろうとしています」
飼い猫を父と共に棄てに行く思い出で始まったこのエッセーは、別の猫のエピソードで閉じられている。子猫が松の木に登って下りられなくなった話だ。
《その子猫がそれからどうなったのか、僕にはわからない》
「このエピソードは『スプートニクの恋人』にも出てきますが、『海辺のカフカ』や『ねじまき鳥~』も、猫で始まり猫で終わっています。寓話的でもあり、いろいろな意味に取れますよね」
村上作品を読み解くひとつの鍵になりそうだ。
※女性セブン2019年5月30日号