堀江氏の「気持ち悪い」「超イヤだ」の大本には、勝手な想像ながら「集団行動が嫌い」ということがあるのではないか。堀江氏言うところの「デモ原理主義者」の主張の根底には、「デモは権力者と官僚機構に対する無辜(むこ)の民による崇高なる抗議手段であり、これぞ民主主義を体現する」との考えがある。そしてデモを批判する人間は権力者に阿(おもね)るクソ、ということになる。
ただ、「デモすりゃエライの?」とも思う。デモに参加せずとも、高額所得者は税金や医療保険という形で社会に貢献しているし、堀江氏もそんな人物だ。
そして、堀江氏の「デモ騒動」は、「集団行動OK派」と「集団行動嫌悪派」の対立という面もあるとも感じた。
子供の頃、全員が校庭にズラリと背の順に並び、「前へ、ならえ!」とやる朝礼が大嫌いだった。合唱コンクールも体育祭も嫌いだった。集団行動に嫌悪感があるのだ。だからこそ、自由に振る舞える大人になったというのに、隊列を組んで一斉にシュプレヒコールを挙げるデモ参加者に「全体主義」を感じ、この統制されぶりが見ていられないのだ。こう書くと「お前はリベラル派のデモだから叩いているのだろう」などと思うかもしれないが、私は在特会のデモはボロクソに叩きまくっている。
集団行動が嫌いな人は「大人のサークル」には入らないし、パック旅行にも行かないし、デモにも参加しない。集団行動の別形態である「行列」も嫌いだからタピオカ屋にも並ばない。今回の騒動はそんな嗜好の差が明確に表われた面もあるのでは。
●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
※週刊ポスト2019年7月12日号