国内
2019.08.05 16:00 週刊ポスト
京アニ事件から考察、心神喪失者への「人間観」のあり方

放火された京都アニメーション第一スタジオ(写真/時事通信フォト)
凶悪な事件の容疑者に「精神科への通院歴あり」と報じられると、果たしてこの人物に罪が問えるのかという問題が浮上する。刑法では心神喪失者について39条に規定があるが、いったいどんな人間だと考えればよいのか。京都アニメーション放火事件から、評論家の呉智英氏が心神喪失と法律が定める人間について考えた。
* * *
京都アニメーションの大惨事に、日本中から強い関心と怒りの声が挙がっている。そのうちの一つが、現時点で死者三十五人、負傷者三十三人もの被害者を出しながら、容疑者の青葉真司はなぜ手厚い治療を受けているのか、という批判だ。しかし、これは間違っている。青葉への治療は、事件の全容解明のために必要であり、彼に賛同し支援しているわけではない。
とはいえ、そういった怒りの声が出るのは、今後の捜査、起訴、判決への懸念が、誰の脳裏にも浮かぶからだ。心神喪失により無罪となる可能性がありうるのだ。
この問題は、類似の事件が起きるたびに浮上してくるのだが、本質的な議論に進まないまま、うやむやになってしまう。
心神喪失とは、精神障害によって善悪の判断や意志能力を欠くことだ。心神喪失者は、社会的・法律的行動を取ることのできる一般人の枠を外れた「埒外の人」である。これを法律は罰しえない。
法律は、法を犯した人を罰する。人を殺せば殺人罪に問われる。しかし、海で泳いでいた人が溺れて死んだ場合、海を刑務所にぶち込んだり死刑にすることはできない。海は「人」ではなく「物」だからである。山から岩が落ちてきて人が圧死した場合も同じ。行政当局の管理責任を問うことはありうるが、海や岩には何の責任もない。海や岩に善悪の判断能力や意志能力はないからだ。
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