林葉と先崎氏(現・九段)。新宿将棋センターには、詰め将棋を解きながら2人で通った(撮影/弦巻勝)
1980年、私は23才の学生だった。親の反対を押し切り札幌から東京へ出て、小説家を夢見て即座に挫折した。
何の当てもなく何の夢もなく、ただ毎日ぶらぶらと飲み歩いていた場末のバーで偶然に将棋と出会った。どうしても勝てないマスターに、どうしたら強くなれるのかと聞いたら新宿将棋センターを教えてくれた。将棋が強くなりたいんだったら、そこに通うといい、ということである。
翌日に新宿歌舞伎町にある将棋センターに足を踏み入れ、その凄まじい光景に言葉を失った。200人以上もの老人や、サラリーマンや、非番のタクシー運転手や、そのほか得体のしれない男たちが、水銀灯に集まってきた蛾のように吸い寄せられ、物も言わずにパチパチと将棋を指しているのである。
そんな場所におよそ似つかわしくない美少女が、毎日のように通っていた。用心棒のように坊主頭の小学生を引き連れていた。その澄み切った美しさをたたえる少女こそが、林葉直子、12才、アマ四段。そして用心棒役のチビが先崎学、小学4年生、同五段。2人で腕自慢の親爺たちをバッタバッタと面白いようになぎ倒していくのだ。しばらくして2人が米長邦雄九段門下の内弟子であることを知った。
2人は師匠の命令で学校が終わってから毎日、この将棋道場に通い腕を磨いていたのだ。道場の猛者連に交ざり、林葉といえばまったく見事なものであった。一手、一手、ほとんど考えない。それでいて指手は必ず急所をえぐる。
将棋を指すために作られた、精緻なロシア製の人形を見ているようだった。薄暗い道場の中にあって、まるで林葉だけは別次元の光に囲まれているようだった。中学1年少女の放つ、美しさ、聡明さ、愛らしさに多くのギャラリー同様、私も見とれていた。
そんなある日、用心棒役の少年が受付でごねだしたことがあった。この少年も、将棋は五段、理論や理屈も子供離れしたところがある。小学4年のくせに愛読紙は日経新聞で、師匠に今はドルを売るべきだと力説して驚かせた。
その先崎が受付でごねている。たまたまその日は成績が悪く、もう一局指させてくれと泣いているのだ。9時までがリミットと師匠に厳命されている。しかし先崎ももう一局指させてくれと、一向に引き下がる気配はない。
小学生の駄々に困り果てた手合い係たち。そこに対局を終えた林葉がツカツカツカという感じで現れた。そして「帰るわよ、先崎」。「僕、もう一局指したい」と泣きながら粘る先崎の頭を、林葉は思いっきり引っ叩いた。なんとも鮮やかな一瞬。その瞬間に先崎は泣き止み、林葉の後を追うように道場を後にした。
実はこの後、新宿将棋センターから駅への地下街で、先崎は林葉のウインドウショッピングに1時間近くも付き合わされるのである。