「“もう帰ろう。お兄ちゃんと一緒に暮らそう”と娘に言うたんです。そしたら、娘が“私はここがいい”と言うんです。娘は主人のことを“お父さん”と呼んで慕っていて、寝る時も“お父さん、お母さんと一緒に寝る”と3人で川の字で寝ていました。主人もこの子をとてもかわいがっていたし、義理の娘も、小さいこの子には優しくしてくれていました」
末娘の言葉に踏みとどまった都は「これは私が闘わなきゃ仕方ない」と、再び家族と向かい合う。幸いにも、相談できる友人や知人に恵まれたことに感謝する。
「悩みもしゃべったら楽になるもんです。友達と話をしながら、自分で解決策を出していました。夫も、部署を変わったり、早期退職して上方落語協会の事務局長になってくれたりと、なんだかんだと私の話し相手になってくれるようになりました」
転機が訪れたのは、義娘が高3になった頃。激しい言い争いをして泣きじゃくる義娘の姿に、「この子は私が守らんとあかん」と強く感じたという。その胸の内が新聞のインタビューに掲載されると、それを目にした義娘は、都の“母”としての心情に気づく。
「長い反抗期が終わったんやなと思いました。その後、彼女は看護師になって、2~3年した時に“私のお母さんになってくれてありがとう”とメールが来たんです。わだかまりが消えた今では、実の娘より話しやすいくらい。義娘も、主人ではなく私にばかり連絡してくれるんです」
6人の母になった都は、現在は9人の孫のおばあちゃん。長い時間をかけて、「家族のカタチ」は変わっていく。
※女性セブン2019年11月7・14日号