このところの乱用のあおりを受けて、「責任を痛感」はすっかり重みのない言葉になりました。気持ちがこもっていないイメージも強まっています。となると、なるべくどうでもいい場面で使ったほうが、真価を発揮できるかも。
同僚をランチに誘ってお目当ての店が定休日だったときは、「うわー、なんてこった。俺は今、ちゃんと調べておかなかった責任を痛感している」と頭を垂れましょう。冷蔵庫の牛乳を全部飲んでしまったことを家族に責められたときも、神妙な態度で「責任を痛感しています」と言えば、相手はそれ以上何か言う気をなくすはずです。
きっとまた近いうちに、流行の発信源であるエライ人が「責任を痛感」する状況が訪れるでしょう。ここまでくると、ひょっとしたらギャグの意味合いも込めて言ってらっしゃるのかもしれません。万が一、言ってる途中で本人がニヤッと笑ってしまうと、ギャグとして台無しだし別の意味でも問題なので、くれぐれもお気を付けいただきたいものです。
まわりを取り囲んでいる記者のみなさんにおかれましては、今まで「痛感はいいけど、具体的にはどう責任を取るつもりなんですか?」という当然の突っ込みをしなかった責任を痛感して、次こそはちゃんと尋ねていただければと。もしかして、そこは聞いてはいけないという暗黙の了解があるのでしょうか。ツーカー(ン)の仲だけに。
こんなことを書くことで、エライ人の関係者やファンのみなさまを不快にさせてしまったとしたら(これもよく聞く言い回しですね)、心よりお詫び申し上げます。責任を痛感いたします。何の責任かよくわかりませんけど。