仏像から出た五十両から高木が二十両、屑屋が十両受け取った後、大家が同道せず屑屋が一人で千代田宅に二十両を届けに行き、屑屋が千代田に「その汚い茶碗でも売ったらどうですか」と提案するのは昇太独自の演出。ここで屑屋の言う「それで猫に餌でもやってるんでしょ」という台詞は『猫の皿』を連想させて落語通をニヤリとさせる。
この茶碗を細川公が見たいと言うところで昇太は屑屋が集う茶屋が「清正公様のお社の前」だったことに触れ、加藤清正も細川公も「熊本城主」、それがこの噺の「裏のキーワード」だと言う。城好きの昇太ならではの着眼点だ。そして「戦国大名は清正のような出自不明の一群と細川氏のような名門に二分される」と説明、「だから細川公は目が利いた」と井戸の茶碗を三百両で買う場面に繋げた。スマートな展開だ。
千代田に金を届けた屑屋が「前例に倣って百五十両ずつ……俺の存在が忘れられてる!」と気付くのには爆笑した。これを指摘したのは昇太が初めてだ。固辞する千代田に屑屋が「そもそも周りに高いものがいっぱいあるのによく調べないからこんなことになるんですよ!」と一喝するのも痛快な台詞。随所で爆笑を呼ぶ素敵な『井戸の茶碗』だった。
●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。
※週刊ポスト2019年11月29日号