眞子さまはICUに通った(写真/共同通信社)
◆明治天皇の勅諭で開校
学習院の万全の“受け入れ態勢”の背景には、「皇族が伝統的に通ってきた歴史」がある。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。
「学習院は1847年(弘化4年)、公家の教育機関として『学習所』の名で京都に開校しました。明治時代に華族・公家が東京に居住を移すと、1877年(明治10年)に明治天皇、昭憲皇太后のご臨席のもと、東京・神田錦町で開業式が行なわれました。
その後、1926年(大正15年)に『皇族就学令』が公布され、皇族の子女が入学するよう定められた時期もありましたが、戦後に廃止されて財団法人に移行し、現在まで多くの皇族が通われています」
1964年(昭和39年)には、現在の天皇が幼稚園入園の時期を迎えたのに合わせ、新たに学習院幼稚園が開設された。それほどに皇室との結びつきは深い。
一方、学習院以外に進学した皇族は少ない。高円宮家の長女・承子女王(33)は学習院女子高等科から英エジンバラ大留学を経て、皇族で初めて早稲田大に進学した。皇籍を離脱し、11月に第一子を出産した同家三女・守谷絢子さん(29)は城西国際大を卒業している。
“非学習院”の姿勢が顕著なのが秋篠宮家だ。長女・眞子内親王(28)は国際基督教大(ICU)に進学。次女・佳子内親王(24)も学習院大を中退してICUに再入学した。そして悠仁親王は幼稚園から現在までお茶の水女子大附属に通っている。
愛子内親王の進学先選びには「秋篠宮家の方針が大きく影響した」とみている関係者は少なくない。