母親から逃れたい一心で東京に出た。東京の日本女子大学校(日本女子大学の前身)の入試が大阪であることを知り、宝塚歌劇団を見に行くとうそをついて受験。見事に合格して、伯母を頼って上京の準備をしていると、「親を放って東京へ行くなどという親不孝者があるものか!」と母親は怒って、東京で暮らすために用意していた布団をはさみで、ずたずたに切り刻んだ。
大学の寮では炊事当番もこなさねばならなかったが、じゃがいもの皮もむけないで、からかわれた。だが、大学4年間の寮生活で、家事をしっかり身につけたため、結婚してからは仕事のかたわら、毎日きちんと料理を作った。ところが、
「待てど暮らせど主人は帰って来ないの。ある時、ついに爆発して、主人のいちばんいい背広をずたずたに切り刻んでしまった。ふと気がついたら、私、母と同じことをしている。母の血が流れている、って(笑い)」
そうかと思えば、深夜に同僚や友人を引き連れて帰ってきて、「めしだ! 酒だ」となる。大慌てで酒の肴を整え、料理を作り足した。
「でも、結婚したのが41才。酸いも甘いも噛み分けてますから、たいていのことには驚きませんでした」
夫、岩崎嘉一さんは放送局のプロデューサー。
「世の中は核家族化が進み、問題にもなっていました。そんな中で、彼は『ただいま11人』という大家族をテーマにしたドラマを手がけたんです。そうした感性と辣腕ぶりに惹かれたんです。それにお給料の高さ。こういう人と結婚したら、将来、楽だろうな、って(笑い)」
親しい演出家の石井ふく子さんに思いを打ち明けると、すぐに石井さんが岩崎さんに話してしまい、「来てくれる人なら誰でもいいよ」となった。
「主人は4才下でした。当時の常識からいうと、妻の方が4才も上なんて好ましいことではありません。“おふくろの手前、同じ年にしてくれ”と主人に言われて、以来、私は昭和4年生まれで通したんです」
◆嫁ぎ先は嫁姑 問題の宝庫だった