「そんな矢先の結婚でしたから、“おれの前で原稿用紙を広げるな”という主人の言いつけを守って主婦業優先で、余裕があれば書くという日々になったんです。でも、それが楽しかった。“みそ汁を作りながら書く脚本家”なんていわれたんです。
ですから、私は二流の脚本家。でも、二流だからたくさん書けた。一流だったら、言葉の1つずつにかっこうもつけるし、推敲もするでしょう。そんなことより、私は思うことが伝わればいいと思うから、平易な文章でたくさん書いた。だからこそ、長く続けてこられて、多くの人たちに見てもらえたんだと思うんです」
市井の人々の共感を呼ぶ作品を書き、名もなき人々の心に寄り添ってきた矜持が橋田を支えている。
「二流でたくさん!」──橋田はきっぱりと言う。
このインタビューから数日もおかず、橋田は豪華客船に乗って旅立った。実は今年2月のクルージングではベトナムの港に寄港中に倒れて、現地で4日間入院、気がついたら都心の病院のベッドだった、という経験をしている。
「94才、もう死んでもいいんだから、輸血も治療もしないで、と頼んだのに、言葉がうまく通じないでしょう。輸血をたくさんされて、あげくにジェット機で日本へ運ばれてしまったんです」
船中の食事がおいしくて食べすぎたために、消化器官を傷つけたことによる下血だった。今回は気をつけて、その折に見損なったベトナムをはじめ、上海や蘇州の人々の暮らしを見てきたい、と言う。涸れない好奇心、行動力が執筆の原動力でもあるのだろう。
※女性セブン2019年12月19日号