今年4月に白老町にオープン予定の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」(撮影/竹中明洋)

 稚咲内は、アイヌ語で「飲み水のない川」という意味だ。飲用にも適さない濁った水が流れ、周囲は湿地のサロベツ原野が広がる痩せた土地。ここに戦後、樺太から渡ってきた樺太アイヌたちが集まって暮らしていると聞いて訪ねた。

 樺太アイヌとは、樺太南部で暮らしていたアイヌのことである。自称は「エンチウ」という。トンコリと呼ばれる弦楽器を用い、寒冷な樺太の気候に合わせて衣服にトナカイの毛皮を用いるなど独自の文化を持つ。なお、北海道アイヌにはもともと弦楽器の文化がなかった。

 樺太アイヌの女性が住むという家を訪ねた。

「それはうちのばあさんのことだと思うけど、もう話ができるような体調ではないよ」

 出てきた男性は、女性の義理の息子だという。集落には他にも樺太アイヌが暮らしているのではないかと尋ねると、「よくわからない」と言う。

「遠路はるばる来てもらって悪いけど、こんな不便なところだから、みんな出て行って今はもうアイヌの人はおらんと思うよ」

 男性はそう言葉少なに語るだけだった。なぜいるはずの樺太アイヌがいなくなったというのだろうか――、

 まず、樺太アイヌがこの小さな集落に移り住んだ背景に、日本とロシアに翻弄された苦難の歴史があることから説明すべきだろう。

 近代までの樺太には、南部にアイヌ、北中部にウィルタやニヴフが居住していた。そこに最上徳内や間宮林蔵ら江戸幕府の役人らによる探検が入ったのは、江戸時代後期になってからだ。南下してきたロシアとの間で樺太をめぐる争奪戦となると、いったんは日露の「雑居地」とすることが決まり、明治政府は警察官を派遣した。

 だが、政府は北海道開拓に専念することに方針転換。1875年、樺太を手放す代わりに千島列島を日本領とする「千島樺太交換条約」が日露間で結ばれた。

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