もうひとつのレースは、初のマラソン(9位、日本人7位)となった2016年のびわ湖毎日マラソンだ。
「私たちもマラソンの応援は初めてでしたから、ゴールテープを切ったあとの選手たちの多くが、足がガクガクで、やっぱりトラックに倒れ込んでいく姿に愕然としました。テレビの中継では、そういう壮絶なシーンはあまり映しませんよね。マラソン選手というのは、命を削りながら走っている。息子も同じように命を削って走っているのかと思うと、怖さを感じてしまいました」
以来、両親は息子のレースを現地で応援することはなくなった。
「私も主人も仕事が忙しいというのもあるんですが、私たちが行くと、あまり良い結果ではないことの方が多くて……」
残された東京五輪の代表3枠目は東京マラソンと、3月8日のびわ湖毎日マラソンで決定する。日本記録の更新、つまり日本記録より1秒速い2時間5分49秒が派遣設定記録となり、これを突破した最上位者が代表となる。突破者が現れなければ、現日本記録保持者で、MGC3位の大迫が最終枠に飛び込むレギュレーションだ。タイムとの勝負にもなるため、起伏が少なく好タイムが狙える東京マラソンに大迫や設楽ら有力選手が集中する。
「MGCでは、大きく騒がれて、かわいそうな感じがしました。親としては、そっと見守ってほしいという思いもあるんです」
一家でアシックスのファンであり、井上がマラソンで履くシューズもアシックス社製だったが、東京マラソンを前に背に腹は代えられず、ナイキ(Nike)社製の厚底シューズを着用してレースに臨む。果たして井上にとって厚底シューズは禁断の果実なのか、それとも五輪切符を導く勝利の女神(ニケ)となるか。
勝敗と共に、刻まれるタイムにも注目が集まる東京マラソンの号砲は、3月1日の午前9時10分――。