志駕:言葉遣いがおかしいのは、外国人が翻訳アプリを使って日本人になりすますからですね。
中田:そう。この先、日本語が巧みに操れる人たちが詐欺目的の乗っ取りを始めたら、かなりの数が引っかかるでしょうね。
志駕:いまは犯罪も進化していて、特定の人物や企業にターゲットを絞り、メールなどを使って狙い撃ちにする『標的型』をはじめ、やり方が多様化しています。映画の中で、ベンチャー企業が仮想通貨を盗まれたのはまさにこの『標的型攻撃』を仕掛けられたから。加えて、セキュリティーの厳しい親会社ではなく、子会社や取引先を狙う『サプライチェーン攻撃』など、どんどん手口が進化していっているため、ひとたび標的にされたら防ぐのはなかなか難しい。こういう実態を知れば知るほど、「ぼくもいつ狙われるんだろう、怖いな」と常に不安です。
中田:アマゾンやアップルを騙るフィッシングメールも週に1回くらいは届きます。こちらも「親愛なる顧客へ」という感じで、言葉遣いが変なのでいまのところは識別できて、被害は受けていませんが…。
〈中田監督の代表作は、長い黒髪を垂らした貞子がテレビ画面から這い出てくる名場面で知られる映画『リング』(1998年)。“この世ならざるもの”が日常を侵食する怖さとは違った恐怖が、今作にはあるという。〉
志駕:ぼくはなんで皆さんがこの映画を「怖い、怖い」というのか、最初わからなかったんです。だけどいろいろな感想を聞いて「なるほどな」と思ったのは「自分に起こり得る」というリアルな恐怖があるということ。
前作では田中圭さん演じるサラリーマンがパスワードを誕生日に設定していたスマホを落としてしまい、すぐに読み解かれて乗っ取りに遭ったばかりか、架空請求が届いたり、住所や職場を特定され、恋人の命まで狙われました。2作目ではフリーWi-Fiをつないだだけで、仕事からデートまでどこで何をしているのか常にこっそり監視される羽目になる。「これは私かもしれない」と感じる人が多ければ多いほど、リアルな恐怖は伝染して増長するのでしょう。
中田:『リング』を撮影したのは、ちょうどビデオとテレビが一家に一台ではなく、一人一台になった時代でした。だから貞子が出てくる「呪いのビデオ」が多くの人に注目されたんです。
『スマホを落としただけなのに』も当時と似た、現実とのリンクを感じます。あの頃ビデオが普及したのと同じか、それ以上のスピードでスマホが普及して、いまや“第二の自分”のようになっている。1作目の撮影中に新宿の中央公園にいる人たちを観察したら、そこにいた人の100人中99人がスマホの画面とにらめっこしていた。あの瞬間、この映画はいけると確信しました(笑い)。
志駕:1作目が公開されてから1年半がたとうとしていますが、この作品が、日本人のサイバーセキュリティー意識を飛躍的に高めたように思います(笑い)。映画を見て、即パスワードを変更した人、ずいぶんいたんじゃないでしょうか。