「滝沢にも話しましたけど、僕は、僕個人は怠った人間であって……。『。』で幕引きというのが出来なかったので。僕はその幕引きの経験があったので、どうか、滝沢と(今井)翼……ね、2人には。やっぱりファンの子に。今まで応援してくれた人たちって、やっぱりすごく大事だから、その人たちが次に進める。
自分たちも進まないといけないけど、応援してくれた人たちやっぱり大事だから。その人たちへのメッセージとして、この番組と2人のショー。やっぱり見たい。最後がどれかわからない、引退試合がわからないまま引退されるようなタレント、選手じゃないと思っていたんで」
中居は、ファンのために、『。』を打つために、会見を開いたのではないか。
SNSはたしかに自分の想いを伝えられるが、一方的な発信であることは拭えず、自分に都合の悪いことをわざわざ書く必要もない。
中居は敢えて記者と対面して、相手が疑問に感じたことを直接聞かれる機会を作った。会見を開けば、どんな質問が飛んでくるか不明だ。シビアな問い掛けもあるだろう。だが、自ら『1媒体5問まで』というルールを設定し、最近の会見にありがちな一問一答ではなく、記者が答えを受けてから突っ込む余地を与えた。そのため、深い話が展開されたのだ。
ここ数年、ジャニーズ所属タレントの会見は何本かあったが、記者陣が忖度しているという疑念も持たれていたし、質問しているのは懇意にしているメディアばかりではないか、との意見もあった。
しかし、中居はどんな媒体からの質問も受け付け、しっかり答えた上で、線を引く所は引いた。SMAP再結成の可能性についても、「0ではないですし、『100%ない』とも言えないですね」と答えた。
中居正広は会見を開くことで、SMAP解散時に打てなかった『。』を自らの手で記した。それは、記者の向こう側にいるファンへの恩返しだったのかもしれない。
文/岡野誠:ライター・松木安太郎研究家。著書に『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)。本人や関係者への取材、膨大な1次資料、視聴率などを用いて1980年代以降のテレビ史や芸能史を丹念に考察。田原俊彦と中居正広の邂逅、SMAPが1990年代にブレイクしていく過程を、社会の変化とともに記している。