1980年代、萩本は“もう一つの甲子園”と呼ばれる定時制の軟式高校野球大会を自身の番組で取り上げ、番組終了後もプライベートで神宮球場に訪れていた。長年、野球を愛し、見続けてきたからこその提案だ。
60代で社会人野球の監督になったり、70代で駒澤大学に入学したりと常識外の発想で世間に一石を投じてきた男は、最後にこう結んだ。
〈みんなはもっといろいろ面白そうなこと考えてくれそうな気がする。ボクが考えたことは残念な顔をちょっとだけ笑顔にするきっかけ。みんなで、この春のセンバツ大会を素敵な大会に出来れば、他のスポーツやイベントにも、このやり方が広がると思うよ〉
センバツ無観客試合の開催が決定したら、欽ちゃんの案を機に、さまざまなアイデアを募集して取り入れれば、新しい応援スタイルが生まれ、経済的損失も多少抑えられそうだ。現状を嘆いても仕方ない。今こそ、ピンチを乗り切る知恵が求められている。
◆文/岡野誠:ライター・松木安太郎研究家。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は『本の雑誌』2018年ノンフィクション部門ベスト10入り。同書には初公開となる『ザ・ベストテン』の歌手の年別ランキングデータや、田原の1982年、1988年の全出演番組を視聴率やテレビ欄の文言などと記載。1980年代のテレビ界が甦る。