高校卒業後、萩本はコメディアンを志し、浅草で修業を積む。しかし、3か月で演出家から「別の道に進んだほうがいい」と失格の烙印を押されたり、初のテレビ仕事である生放送のコマーシャル読みで19回NGを出したりするなど、始めから順風満帆なわけではなかった。

 コメディアンになって6年半が経った25歳の1966年10月、坂上二郎と『コント55号』を組む。翌年、日本劇場での西田佐知子ショーや北島三郎ショーを機に、評判が急上昇。1968年にはフジテレビ系で『コント55号の世界は笑う』が始まり、スピード感溢れるコントで時代の寵児となった。1970年代、萩本は『スター誕生!』(日本テレビ系)などの司会者として名を馳せ、1980年代前半には『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)など冠番組の視聴率が1週間で計100%を超えるほどの人気を博した。

 しかし、44歳を迎える直前の1985年3月限りで『欽ドン!』などのレギュラー番組を降り、休養に入った。実は、1年前に出版された『欽ちゃんのはにかみ人間学』(主婦と生活社、1984年3月発行)の「第26章 人生、すべてチャラ」の「人生って、結局プラス、マイナス、ゼロ」という項目には、こんな文言がある。

〈萩本欽一には、今、金もある、名誉もある(これだけ名前が知られているんだものね)、家庭もある、子供もいる。だから、もう運がない。ということは、仕事でもあまり前に出ないほうがいいってことかなってときどき思います〉

 つまり、突然に思えた休養宣言は、この言葉の実践だったのだ。のちに、著書『まだ運はあるか』(大和書房、1999年11月発行。取材・構成 斎藤明美)ではこう語っている。

〈初めから四十五(歳)だと思ってたの。運を計算したらそうなるんだよ。(中略)中学から芸人として売れるまで十六年なんだよね。二十八の時55号で売れて、それから十六年だと、四十四、これが限界だよね。辛かった分と同じ年数だけ成功するとしたら、四十五でもうダメになるんですよ〉

関連記事

トピックス

NHK中川安奈アナウンサー(本人のインスタグラムより)
《広島局に突如登場》“けしからんインスタ”の中川安奈アナ、写真投稿に異変 社員からは「どうしたの?」の声
NEWSポストセブン
カラオケ大会を開催した中条きよし・維新参院議員
中条きよし・維新参院議員 芸能活動引退のはずが「カラオケ大会」で“おひねり営業”の現場
NEWSポストセブン
コーチェラの出演を終え、「すごく刺激なりました。最高でした!」とコメントした平野
コーチェラ出演のNumber_i、現地音楽関係者は驚きの称賛で「世界進出は思ったより早く進む」の声 ロスの空港では大勢のファンに神対応も
女性セブン
文房具店「Paper Plant」内で取材を受けてくれたフリーディアさん
《タレント・元こずえ鈴が華麗なる転身》LA在住「ドジャー・スタジアム」近隣でショップ経営「大谷選手の入団後はお客さんがたくさん来るようになりました」
NEWSポストセブン
元通訳の水谷氏には追起訴の可能性も出てきた
【明らかになった水原一平容疑者の手口】大谷翔平の口座を第三者の目が及ばないように工作か 仲介した仕事でのピンハネ疑惑も
女性セブン
襲撃翌日には、大分で参院補選の応援演説に立った(時事通信フォト)
「犯人は黙秘」「動機は不明」の岸田首相襲撃テロから1年 各県警に「専門部署」新設、警備強化で「選挙演説のスキ」は埋められるのか
NEWSポストセブン
歌う中森明菜
《独占告白》中森明菜と“36年絶縁”の実兄が語る「家族断絶」とエール、「いまこそ伝えたいことが山ほどある」
女性セブン
大谷翔平と妻の真美子さん(時事通信フォト、ドジャースのインスタグラムより)
《真美子さんの献身》大谷翔平が進めていた「水原離れ」 描いていた“新生活”と変化したファッションセンス
NEWSポストセブン
羽生結弦の元妻・末延麻裕子がテレビ出演
《離婚後初めて》羽生結弦の元妻・末延麻裕子さんがTV生出演 饒舌なトークを披露も唯一口を閉ざした話題
女性セブン
古手川祐子
《独占》事実上の“引退状態”にある古手川祐子、娘が語る“意外な今”「気力も体力も衰えてしまったみたいで…」
女性セブン
ドジャース・大谷翔平選手、元通訳の水原一平容疑者
《真美子さんを守る》水原一平氏の“最後の悪あがき”を拒否した大谷翔平 直前に見せていた「ホテルでの覚悟溢れる行動」
NEWSポストセブン
5月31日付でJTマーヴェラスから退部となった吉原知子監督(時事通信フォト)
《女子バレー元日本代表主将が電撃退部の真相》「Vリーグ優勝5回」の功労者が「監督クビ」の背景と今後の去就
NEWSポストセブン