小塚さんは頭がいい。飲み屋という羽目外しの場をやるには少々頭がよすぎるくらいだ。それでも常連客はいたし、昔の仲間や難しい話をしたがる人はたくさんいる。小塚さんのお客はそんな人達が多かったが、さすがにコロナ、まして外出自粛令とそれに従わざるを得ない社会の「空気」に抗うことは出来ない。三月も中頃になると閑古鳥が鳴く日々が続いた。

「つなぎ融資とか緊急支援とかを当てにするのは怖いよ。そんなの商売がよくなるあてのある人の話で、俺の景気なんかいつ回復するかわかんない。借金はしたくないね。コロナだっていつ収束するかわかんないだろう?」

 借金も資産だと言えるのは大企業の話で、歴史上まれに見る非常事態に追い詰められた個人事業主の借金なんてリスクでしかない。では小塚さん、これからどうするのか。

「ひとまず富山の実家に帰ろうと思う。親も高齢だし、これまでも帰ってあげようと薄々は思ってたんだ」

 地方民がこの東京で暮らしていくのは大変なことだ。10年、20年くらいはなんとかなるかもしれないが、仕事、家庭、健康、さまざまな理由で東京を去らなければならなくなる。ましてや有事になったら真っ先に影響を被る。独身での賃貸暮らしは若いうちは気楽だが、詰むのも早い。

「ビルのオーナーにも昨日話したんだ、この状況じゃしょうがないって納得してくれた。元々たいした家賃じゃないけど、俺のマンションの家賃と入れたら毎月結構な額が出ていくし、それこそ動きがとれなくなくなったら元も子もない」

 私は電子コミックの表紙デザインでよければと仕事を紹介したが、彼は首を振った。そして煙草に火をつける。煙草嫌いの私と二人でいるときは、煙草を吸わない人だったが――。

「もう潮時だと思う。ありがたいけど、そういう状況じゃないんだ」

 小塚さんは相当思い詰めているようだ。私は実家に戻ることに賛成した。

「俺なんかまだいい。ママゴトみたいな店舗経営だ。でも大きくやってる飲み屋は大変だと思う。従業員の金、仕入れの金、家賃、光熱費、オーナーの生活費、何もかも店が稼ぐ。そこに客がいない、そもそも街に人がいない、これで非常事態宣言なんて出たら、飲み屋の大半は消えると思う」

 まったくそのとおりで背筋が寒くなる。いま私たちは本当に恐ろしい時代に踏み込んでしまったということか。

「それにね、日野さんは帰省するとコロナが広がるとか言ってたけど、俺もそうだけど、コロナで帰省しなくちゃいけないって場合もあるんだよ。

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