◆結局は負けだな。しくじりか。親孝行するさ
さっきまで私がくどくどブッていた薄っぺらいコロナ話を持ち出されてしまって恥ずかしい。まったくそのとおりだ。帰省と言えばただ東京封鎖を逃れるためとか、まだコロナ被害のそれほど拡大していない地方に逃げるとか考えがちだ。コロナを拡げてしまうことはなんとしても避けなければならないが、東京でコロナを遠因に仕事を切られたり、シフトを減らされたりで生活が立ち行かなくなり、やむなく帰省する人もいるはずだ。ましてや国による具体的な救済策はいまだに決定しておらず不透明なままだ。
「実家でどうするかは決めてないけど、食うにはなんとかなる。借金もないし独身で身軽なのは悪いことじゃないね。誇れるデザイン仕事を手掛けた自負はあるけど、結局は負けだな。日野さんの言うところのしくじりか、まあ親孝行するさ」
小塚さんのご両親ともとっくに年金暮らしだが、教師だったために生活は豊かだという。そんな風に実家が安泰だから、今まで好き勝手やってきたと語っていたが、困った時に頼るべきは肉親だ。意地を張って孤独と困窮に耐える必要はないし、勝ち負けじゃない絶対的幸福こそ私たちが目指すべき道だ。東京なんてそこまでしてしがみつくようなところではないと思う。その意地を張っていいのは若いうちだけだ。しくじったらいかに上手に「転進」するかが重要だ。こういう人生の言葉こそ、撤退ではなく転進という言葉がふさわしいと思うのだが。
「コロナね、ほんとヤバいよ。ずっと続くんじゃない? ペストは100年だろ? 死んだりはもちろんだけど、そんな世の中が延々続くって、それも現代なんてヤバ過ぎる。田舎で大人しくするさ」
小塚さんの言う「ペストは100年」は、おそらく14世紀のペストのことだろう。推計では世界で1億人が亡くなり、ヨーロッパの人口は約半分になったため世界史が変わるほどのパンデミックだった。疫病の恐ろしいところは死者数はもちろん、終息が見えづらいことだ。人心は疲弊し、その荒廃をまねく。社会は混乱し、それぞれの人生を変えてしまう。そんな時代になるかもしれない。
小塚さんがバーをオープンしたのは、デザイナーの仕事が行き詰まっても、自分の食い扶持くらいはお店でなんとかなる未来を作れるとぼんやり考えていたかもしれない。ところが、淡い期待は見事に打ち砕かれた。とはいえ彼のしくじりは恵まれた出自を頼りにすることで救われるかもしれないが、家で大人しくすることもできない貧困層はどうすればいいのか。
貯蓄を含めた生活の保障やお金のあてがある人は危機を乗り越えられるだろうし、富裕層は「引きこもり消費」をエンジョイすればいいだろう。しかし2019年のファイナンス会社の調査では30代、40代の貯金ゼロが23.1%にも及び、貯蓄額100万以下が60.5%で、とてもではないが乗り切れる人が多数派とは思えない。この調査が偏っている可能性もないわけではないが、調査対象は団塊ジュニア・氷河期が多数を占める層と考えれば、それほど実態と乖離しているとは思えない。
それでも本当に生活が厳しくなるのは非正規やフリーランスだけ、という観測は楽観的すぎないか。正社員でも薄給だったら、このコロナ騒動が長引けば、遅かれ早かれ詰んでしまう。現実はゲームのようにライフがゼロになりゲームオーバーというわけにはいかないし、リセットボタンもない。詰んだ人々に残されるのは電源ボタンとルール無用の新たなゲームで、生活も心も荒むのは間違いないだろう。それが社会に、政治に、自分の身の危険に跳ね返って来ると、為政者たちには届いているのだろうか。
私はしばらく小塚さんと話し込んだ。もう深夜、そろそろ外出自粛令の日付に変わる。しばしお別れか。つくづくコロナが憎い。私たち団塊ジュニアのとどめを刺しに来たんじゃないか。私たちが何をしたというのか。そんな昔から何度もこぼした愚痴を、おっさんになった今、また繰り返すなんてなあ、などと自嘲し合いながら。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ正会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。