この作品が同年の東宝作品で1位の興行成績となったため、聖子の「恋愛ファンタジー」は回を重ねる。4作目となる『カリブ・愛のシンフォニー』(1985年、東宝)の監督は、東映の「トラック野郎」シリーズなどで知られる鈴木則文だ。サンミュージックからの条件はただひとつ、「聖子を大人にしてほしい」だった。そのため相手役には、聖子より12歳上の神田正輝が選ばれた。そして一行はメキシコロケへ、84年11月8日に旅立つ。
「僕は彼女のいい面をパッと切り取ればいいと思ったんだよ。だから神田君にも『ヒマがあったらセリフの読み合わせをしてあげて』って頼んどいた」
ふたりは撮影が終われば散歩や食事をともにする機会が増えていく。年が明けた85年1月23日、場所は東宝の砧スタジオ。引き続き撮影が行なわれるはずのスタジオは、物々しい気配に包まれていた。撮影に先立ち、聖子が郷ひろみとの別離会見を開いたからである。
「生まれ変わったら一緒になろうねって……」
流行語にもなった言葉を、大粒の涙とともに聖子は口にする。映画の撮影スタッフは、それをすぐ近くのテレビ画面で眺めていた。
「大丈夫かい?」
鈴木はスタッフにつぶやく。この状態では、このあとの撮影はできないだろうなあ……。やがて会見がすべて終了し、聖子が鈴木たちの前に現われた。