ここで渡辺が指摘している内容は、現在も世界各地で民族紛争が絶えないことを考えれば、その通りであるといえよう。しかし、これに懸案の満蒙の問題が絡んでくると、事情が複雑になっていく。岩井氏が解説する。
「渡辺は、民族間の感情がこじれると、相手の行動を悪意でしか見ないようになると指摘します。そこから、さらに満蒙問題に話をつなげています。新聞記事を引用しながら、自らも参加した日露戦争において多くの人命と莫大な税金をつぎ込んだ満蒙は、大日本帝国の名誉と経済にとって欠かすことのできない存在だというのです。
戦争はみだりに起こすべきではない。もし戦争になったら、悲惨な現実が待っている。それでも、満蒙に関しては、その権益を回復しようとする中国側の行動を認めるわけにはいかない……というジレンマがここに見てとれます」
日中は「民族性が全然違う」
渡辺は同じ講演で、中国との関係について続けるが、両国の友好については悲観的な見方をしている。
〈また、日支の感情問題について申しますると、わが日本では久しい前から、あるいは共存共栄、または同文同書[漢字や漢籍の共有]、唇歯輔車[しんしほしゃ=密接不離の関係]、いろいろの親善の言葉を使い支那に対しまするが、支那の方ではいっこう、これに応じませぬ。また、支那民族と日本民族とは数千年来、養いきたった民族性が全然違うのでございます。
今回、中部支那に非常な大水害がありましたので、かしこくも皇室におかせられましても、多額のご内帑金[ないどきん=天皇の手元のお金]を救恤[きゅうじゅつ=見舞いの金品]としておつかわしになり、また、民間の日本人はまことに可愛想であるというので、義捐金(ぎえんきん)を募集し、金円あるいは物品をもって彼らを救恤することになりました。これに対して、今の支那の輿論(よろん)を代表する新聞が果たしてどんなことを言っておりますか。これは本日7日その筋で調べたものであります。簡単にご紹介いたします。
満洲方面、我が皇室の御憐恤(ごれんじゅつ)と朝野(ちょうや)の同情に関しては僅かに電報記事を掲げしのみにて、何等感謝の記事を掲げたものなし。[中略]だいたいにおいてこういう景況で、わが言論界一部の評論のごとく、日支交歓の契機として日支間の国交の曙光(しょこう)を期待するがごときは到底望みがたいところであろう〉
日本では、日中の関係は「唇歯輔車」と言われてきたが、中国の方はいっこうにこれに応じようとしない。何より、日中は長い歴史の中で養われた民族性が違いすぎるという。