「ここで渡辺は例として、中国で起きた水害に対し日本が送った義援金について、中国の新聞がどのように報じたのかを取り上げています。渡辺によれば、新聞ではほとんど取り上げられず、記載されたとしてもほんのわずかにとどまっているといいます。これでは、わが国の言論界が言うように、日中の友好など望むべくもない、と。このように、渡辺は日中の友好に関してはかなり冷めた見方をしており、中国に対してはいささか突き放した印象を持っていたようです」(岩井氏)
渡辺は、そんな日中関係を踏まえて、こう展望する。
〈もとより日本は、支那の感謝を受けるために救済するのではない。人類愛として可愛想なものを救うためにやったのでございますけれども、かくのごとく民族的反感が募っているということが、将来いかなる事態を惹起(じゃっき)するかということは、われわれが考えなければならぬことであろうと思うのでございます〉
「将来いかなる事態を惹起するか」——実際、この講演の1週間後に柳条湖事件が起こり、満洲事変を契機に翌年の満洲国建国、そして日中戦争へと突き進んでいく。そんな未来を回避するために、どのような「覚悟と準備」が必要なのか。渡辺はさらに持論を展開していくのだが、それについては稿を改めることとする。
●参考資料/岩井秀一郎『渡辺錠太郎伝 二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想』(小学館)