家族とは長い時間をかけて夕食をとることも
だが松岡は、長男の決断を痛いほど理解しているという。高校時代は、松岡自身も両親に“反抗”した時期なのだ。
「慶應幼稚舎時代からテニスに打ち込んできた松岡さんは、慶應義塾高校2年のときに母親の反対を押し切って、テニスの名門である福岡県の柳川高校に転校しました。さらにその翌年、プロを目指して単身渡米したときには、反対する父を説得。母は最後まで反対し続けていましたが、このときも強行突破しています。この渡米がターニングポイントとなり、松岡さんは世界に羽ばたくプロテニスプレーヤーに成長したのです」(スポーツライター)
大学まで卒業することを望む両親と、自分の道を貫こうとする息子。このとき、親子の間に考え方の違いがあったのは想像に難くない。
「強行したとはいえ、結果的にはご両親は修造さんを応援してくれたそうです。もしかしたら修造さんは、息子さんに当時の自分を重ね合わせているのかもしれません。父親として思うところはいろいろあっても、息子の気持ちを最大限尊重してあげたいと考えているのでしょう。そして、いまは、息子さんと離れることで自分自身も冷静さを取り戻し、子離れのときに向かって一歩ずつ進んでいこうと考えているのではないでしょうか」(前出・松岡の知人)
突然、妻が泣き出した
「一家離散」の現実を重く受け止める松岡だが、妻・惠美子さんとの関係は極めて良好だ。
「かつて、惠美子さんとは教育方針を巡って大げんかすることもあったそうです。でも、正直にダメ出しをしてくれる惠美子さんを修造さんは 誰よりも信頼しています。修造さんは夫婦だけで過ごす時間も大切にしていて、お子さんたちが小さい頃から、週1回、惠美子さんのお母さんに子供たちを預け、子供連れではいけないレストランでデートを楽しんでいました」(前出・松岡の知人)