焦げ茶色のダウンを着た百恵さん
美化することも飾ることもなく、淡々と語る口調が深みを増す。
「彼女が横須賀で過ごした6年は簡単な月日ではなかった。それでもそこを原点と言い切り、包み隠さず明かす強さが彼女の魅力でもあった」(百恵を知る芸能関係者)
百恵に硬派なイメージをつけたといわれる『プレイバックPart2』。「馬鹿にしないでよ」とすごむ顔とは別に、私生活は《本質はおとなしい方です》と明かす。そこから『横須賀ストーリー』まで7曲熱唱後、ふと口元に憂いを帯びた笑みを浮かべ、人生について語った。
《人間は最終的にひとりだから”なんてぼそっとつぶやいたかたがいらっしゃって、それを聞きながら、ふと思ったんです。確かに最終的にはひとりかもしれない。でもひとりかもしれないけど、それまでどんな人たちとどんなかかわり方をして、どんなふうに生きてきたのかというのが、とても大事なんだと思います。最後にたったひとりになったときにも、きっとそんな思い出があるとないとでは、全然寂しさが違うって、そんな気がするんです》
すべての曲が《私の分身》という百恵が特にお気に入りだというのは『いい日旅立ち』だ。そんなエピソードとともに好きな言葉を挙げた。それは“女”、そして“一期一会”。
《なぜ好きなのと言われても困るんですけど、そのひとつの字から受ける感じがとても好きで、いままで何度となく“常に女でありたい”、そう言い続けてきました。そのほかに『一期一会』という言葉があります。たくさんの人間が生きていて、呼吸をしていて……でも、そんな中で言葉を交わしたり見つめ合って笑い合える。時にはけんかしたりもする。そんな触れ合いが持てるのは本当にごくわずか。そんな縁をこれから先ずっと大事にしていきたい》
たくさんの幸せよりたったひとつのその幸せを自分でつかみたい。そんな思いで自ら書いた詞が『一恵』だった。
「私の母もとても素晴らしいんだな」
ファンの涙をさそったのは『曼珠沙華』の後、『秋桜』の言葉だった。百恵を女手一つで育て上げた母は、このステージから約9年後、孫の顔を見て安心したかのように息を引き取っている。母への思いを強く語る百恵の姿に思いを重ねずにはいられない場面でもあった。
《私は、いま21才の女として、嫁ぐ前の女としてふと思うんですが、自分たちがいまこうやって生きて、そしていろんな人たちと巡り会って、いろんなかかわり方をして、私は皆さんと会ってそして歌を歌ってきて、いろんなことで悩んだり苦しんだり、泣いたり笑ったりしている。でも、それはすべて私も皆さんも、いま生きているからできることなんだろうな。何がいいんだろうって思ったとき、健康で生きていられるということがいちばんいいんだろうな、素晴らしいんだろうなって思う。
だから、こんな素晴らしい出会いや、それからこんなすてきな人生や、それを与えてくれたのがやはりお母さん。皆さんのお母さんも、私の母もとても、やっぱり素晴らしいんだな。素晴らしい母という存在がいたから、私たちはこの一瞬を過ごしていられるんだな。皆さんもお母さんを大事にしてください。私も大事に、これからずっと大事にしていきます》