料理宅配サイトを運営する「出前館」の配達拠点(時事通信フォト)
池袋の配達員はそう言っていたが、確かに街中では会社名を伏せたほうが、人によってはいろいろ都合がいいのだろう。自己防衛という気持ちもわかるが、それはいわゆる「白ナン営業」の温床にもなっている。「白ナン」とは自動車や125cc超のバイクで営業許可も取らずに商業輸送を請け負う行為を指す隠語だが、街中でそんな輩を見かけたとしても配達員かどうかはわからない。配達しているかもわからない。たとえウバッグを使っていたとしても、ウバッグ大好きな人かもしれないし、パンダやネコのマークがかわいいと私用で使っているのかもしれない。配達員が配達員をしていない時間かもしれない。各社通報窓口はあるが、機能していないと心ある配達員からの不満が聞かれるのはそんな不明瞭さにもある。
あくまで配達員は「個人事業主」であり、フードデリバリーアプリ各社ともあくまで仲介役の「アプリ」である。ゆえに雇用関係はなく、強制はできない ―― このフードデリバリーにおける新たな産業形態はあっという間に広まった。その分ひずみも大きく、雇用の問題、道交法の問題が山積みだ。しかし、ローソンがすでに試験的ながら医薬品(風邪薬や胃腸薬など第2類・第3類の一部)の配達をウーバーイーツに委ねるなど、この流れは止まらない。むしろコロナ禍の長期化でさらに加速するだろう。共存していくしかない。
「安心して仕事したいだけですよ。食ってかなきゃいけませんから」
子どもを抱えたお父さん配達員の話、彼の話によればちょっとした事故なら逃げる配達員もいるという。冒頭のドアミラーを破壊した配達員もそうなのだろう。痛かったろうに、配達中だから事故処理に時間を取られたくなかったのか、弁償したくなかったのか――(配達員の補償制度は各社異なるが、原則は個人事業主であり、自己責任である)。それでも犯罪であり迷惑行為。それは先の「煽られたり嫌な目に遭う」という報いにつながる。その報いに多くの配達員が巻き込まれる。
あくまでアプリの提供者であり、個人事業主に対しての強制はできないという建前はわかるが、せめて各フードデリバリーはバッグや名札による配達員の名前表記だけでも規定してはどうか。掛け持ち云々という話で会社表記の厳密化が難しいなら、配達員の名前だったら問題ないはずだ。多くの旧来型の運送会社で働く配達員や車両はそうしている。日本社会に本当の意味で受け入れられることを望むなら、グローバリズムを盾にするのではなく、日本社会に合わせる柔軟性も必要ではないか。これまでも書いてきたが、ここは日本である。
街中で、配達員がどこの誰だかわからない。これはとても恐ろしい話だと思うのだが。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)寄草。著書『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)など。