セラピーを始めて2~3か月で起きた変化には、本当に驚かされました。言葉が不自由な母がアンスリウムの花の絵を描き終えて、「よ・く・で・き・た」という言葉を絞りだしたのです。
認知症になってからの母は料理や旅行、買い物など、それまで好きでやっていたことができなくなり、心が自己否定で凝り固まっていたのでしょう。可能性が奪われていく憤りを感じ、攻撃的になっていた気がします。
でもアンスリウムを描き終えた母の口から出たのは、自己肯定からくる言葉でした。出来過ぎた話かもしれませんが、絵を通して自分を肯定できるようになってから、母は少しずつ落ち着きを取り戻し、笑顔を見せるようになりました。
私にとっても母の絵は大きな転機でした。母の描くアンスリウムの色使いや力強さを見た時、“明るくて社交的だった母はここにいるじゃないか”と思ったんです。ずっと壊れた母しか見えていなかったけど、実はその中に自分の知っている母がちゃんといた。それに気づいてから、母との関係性が修復できました。
それと同時に、「忘れてもいいじゃないか」と思えるようにもなった。
大正生まれの母は、女学校時代に戦争を経験し、戦後は結婚して出産や子育てに追われました。そんな女性が80歳を超えても、すべてに覚醒して生きなければならないなんて、子供として傲慢じゃないか。確かに忘れられる家族はつらいけど、大変だったことを忘却の彼方に置き、毎日ふんわりと楽しく絵を描いて暮らせれば、とても幸せなことじゃないか──そう思えるようになったら、すごく楽になったんです。
介護は死に向かう営みです。それで最初は母に会いに施設に行くのがすごくつらかったけど、認知症を受け入れてからは逆に楽しくなりました。
入所者とも徐々にコミュニケーションが取れるようになり、ホームへの愛着も湧きました。何より最後の3年間は、お花畑にいるように、心穏やかに過ごす母を見ることができました。忍耐強く、そして最後まで親身になって介護をしてくれたホームのスタッフには心から感謝しています。
私は母を心の拠り所として生きてきたので、認知症が進行した母を見ると、自分自身の一部が壊れる気がしました。しかし、施設に入って第三者が関わることで、心地よい距離感が生まれました。