朝ドラは、老若男女問わず視聴者層の幅が広い。そのため出演者には、幅広い世代に伝わる演技表現が求められ、観る者すべてに的確に伝えなければならないが、成田はこの力が突出していると感じる。思い返してみれば成田は、モデル業からキャリアをスタートさせた存在である。モデルは、時に自分自身が主役であるが、多くの場合身にまとう衣服や手にする“商品”を主役として観る者に示さなければならない。そこで必要とされるのは、“魅せる力”だ。その点で成田は、モデルからスタートしたものの、そのキャリアを上手く自身の演技に取り込んでいるように思う。先に挙げた映画作品からも分かるように、ジャンルや役のポジションを問わず、各作品に適応しているのがその証だ。
映画『スマホを落としただけなのに』(2018年)での、一人の人物の二面性を表現した成田の演技を取り上げればさらに分かりやすいのではないだろうか。同作で成田は、ごく普通の青年から連続殺人犯の役を演じ、表現の幅の広さを見せた。物語の前半では、ネットストーキング被害に遭っている主人公に対し、ネットセキュリティ会社に勤めている人物として近づき、やがて後半では猟奇的な殺人鬼の素顔を見せる。前半は恐怖に怯える主人公にスポットが当たるのだが、後半はそれに加え成田のサイコ-キラーぶりにもフォーカスしており、脇役ながらも主役と同等に前に出ていた印象だ。
だが、同作で成田の力を感じたのは、実は前半の方。淡々とセリフを口にし、自身が控えめな存在であることを示すことで主役を引き立てている。ここで見せるべきは、主人公の恐怖である。成田が“受けの芝居”に徹し、主役の存在を立てているからこそ、劇中の主人公の恐怖がより強く観客に伝わるのだと思った。成田の俳優としての魅力はまさにこの点。特定のシーンや瞬間ごとに“見せるべきものを的確に魅せる力”を持っているのだ。
『おちょやん』の場合、中心にいるのは常に千代を演じる杉咲だ。成田は夫役としてフォーカスされるというよりも、彼の存在を通して千代の魅力を際立たせなければならない。成田のように、シーンごと、ひいては作品ごとに、立てるべき存在をきちんと立てられる俳優でなければ、この千代と一平の関係は成立しないように思う。今後は前に出てくることも増えるはずだ。どんな“魅せる力”を披露してくれるのだろうか。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。