怒りを原動力に、中山は2位を2分以上引き離す大会最高記録タイ(当時)で優勝。瀬古が言う。
「出場しても、中山君にあのレースをやられたら完敗だったでしょう。ただ、私が欠場したから“オレの強さを瀬古に見せてやる”という意地で走ったんだと思う。中山君には“瀬古に勝つこと”がすべてだったのでは」
結局、当時の陸連は“一発勝負”を撤回。瀬古は翌年のびわ湖毎日マラソンで優勝し、ソウル行きの切符を手にした。ただ、五輪では9位に終わり、中山も4位とメダルに届かなかった。五輪後に引退した瀬古は言う。
「宗兄弟が引退して、目標を失いかけた時に下からイキのいいのが出てきた。お陰で頑張らなければと思い、競技力を維持できた。それは中山君に感謝しています」
※週刊ポスト2021年5月21日号