失意の彼は家すら持たず、最小限の荷物をリモア社のアルミ製トランクに詰め、ホテルを転々とする毎日だ。
そして、東十条の安ホテルに滞在中、父親の店で宿題をするマリクと出会う。その少年は昼食代を少しずつ貯めたという全財産の3300円を迷わず差し出すほど、ソユンの行方を本気で案じていた。きっと共に在日外国人の子供同士、支え合ってもきたのだろう。現に〈世の中には悪いことしかない〉とこぼす宗光にマリクが〈僕だって知ってるよ、それくらい〉と返し、小さな依頼人となるシーンなど、本作は胸がしめつけられる場面に事欠かない。
「こうした子供の出し方は、娯楽小説の王道である一方、リスキーでもありました。かつては子供を助けるヒーロー像は大衆文学の本流であったのですが、現在そうしたリテラシーは失われつつあります。しかし私はこれまでの読書歴を通じて自分なりに体得した大衆文芸の本質を表現していきたいと思っています。そうした私の方向性と、社会の歪みは常に弱者へと向かうという真実とが、今回はうまく合致した気もしています」
ソユンの父〈安勝現〉は失職した元組員で、周囲を有機農業の投資話に勧誘し、親族諸共姿を消したという。その安が〈徳原〉なる男と行動し、パンフレットには〈瀋陽興産〉とあった事実を掴んだ宗光は、社名こそ違うものの構図は瓜二つの集団失踪に、その後何度も出くわすことになるのだ。
目を疑うほどの日本人の無関心さ
徳原の他、〈加藤〉、〈寺田〉、〈田島〉、〈長谷部〉等々、架空の投資話や移住計画を持ちかけ、金を集めるだけ集めて消えた人々の隣には、常に協力者らしき男の影が。が、彼らは年柄も身なりもバラバラな上に印象が薄く、ひとまず失踪者側の事情を西は征雄会の〈楯岡〉、東は遠山連合〈久住〉らの協力を得て探る宗光は、あまりにも簡単に人が消え、かつ誰も騒がない、日本社会の〈無関心さ〉に目を疑った。
〈関係者全員が姿を消し、後には何も残らない。失踪しても騒ぎにならないような者達を対象としているからだ〉〈責任を問われることさえなければそれでいい。行政とはそういう発想の上に回っているものらしい〉
「ヤクザ=必要悪かはともかく、暴力団が社会的脱落者の受け皿として機能した時代は確かにあったと思う。暴力団に代わって台頭したのが半グレですが、私が最も邪悪だと思うのは半グレに加担する一般人です。
女性の人生を台無しにして『社会的に成長できてラッキーだった』と言い放つ元大学生の大手企業社員。それを許容する社会は許せない。児相の怠慢による子供の虐待死とか、今や日本人の無責任、無関心が報道されない日はないでしょう。外国人実習生の実態だって本当に酷いと思うし、ただでさえ社会に居場所のない人々に目を付け、食い物にする加藤なり長谷部なりという個人を超えた概念を、私はこの孤高の非弁護人と対決させたかったんです」