しかし、ムッソリーニのほうはヒトラーに好意を持っておらず、独首相に就任したヒトラーの会談の申し込みを断り続けたという。2人の初の会談は1934年6月、ヴェネツィアで実現した。
〈ヒトラーは、尊敬するファシズムの創始者に会えて感極まったようです。しかし、ムッソリーニは、ヒトラーが気に入らず、「彼は狂っている」と感想を述べています。
首脳会談で、ヒトラーはオーストリア・ドルフス政権への不満を述べ、オーストリア・ナチ党の政権参加を主張します。ムッソリーニは、ナチスによるユダヤ人や教会への迫害を非難します。会見の後、ムッソリーニは、ヒトラーをますます嫌うようになったのです。
ヒトラーがヴェネツィア滞在中に、ムッソリーニは、サンマルコ広場の群衆に大演説を行いますが、ヒトラーは、その演説に大群衆が熱狂する様子をつぶさに観察します。そして、この演説スタイルでもムッソリーニの真似をすることを決めます。自分が師と仰ぐムッソリーニをますます尊敬するようになるのです〉(同前)
ヒトラーを魅了したムッソリーニの演説スタイルとはどんなものだったのか。
〈ムッソリーニは、歌舞伎役者も顔負けするくらいの誇張、見栄、仕草で大衆を沸かせたのです。唇を真横に結び、腰に手を当てた役者ぶりです。ヒトラーは、ヴェネツィアのサンマルコ広場を埋め尽くした大衆に演説するムッソリーニを見て感激し、「あたかも教皇を前にしているかのように、群衆は彼の前に謙虚な態度で立っていた。そして彼はカエサルのような態度をとっていた」と称賛しています。
そして、ムッソリーニの雄弁術を真似て、自分も同様の手法を用いるのです。ヒトラーは、俳優まで雇って、演説の振り付けをしています。
ムッソリーニは、エチオピア戦争の勝利のときなどに、何十万人という大衆を前に喜び の大演説をするのですが、宮殿のバルコニーを利用します。国会議員になって僅か1年半で首相になったので、街頭演説によって、大衆を引きつけ、それを票に結びつけて、議席を増やすという必要性はさほど高くありませんでした〉(同前)