ペストの恐怖は今も消え去っていない
それでは、過去の世界的な感染症として、ペストとスペインかぜ(インフルエンザ)をみていこう。
ペストは発症した人の皮膚が紫黒色を呈して死に至ることが多いことから、黒死病として恐れられてきた。鼠類に付いた蚤(のみ)が、人にペスト菌を媒介するとされる。
ペストは、6世紀、14世紀(「中世の大流行」)、そして19世紀末~20世紀のパンデミックと、過去2000年間に3度の世界的な大流行があった。このうち、特に、中世の大流行は1331年に中国で始まり、貿易ルートを伝って、ヨーロッパ、北アメリカ、中東に広がった。1347~1353年の6年間で、当時1億人といわれるヨーロッパの人口のうち、2000万~3000万人がペストで死亡したと推定されている。
じつは、このペストはどのようにして終息したのか明らかではない。
寒さにより病気を媒介する蚤が死滅したため。ペスト菌が宿主をクマネズミからドブネズミに変えたことで人間との距離が離れたため、感染者が出た村を焼き払うなどの感染拡大防止策が奏功したため──など、さまざまな説が出されている。これらに加えて、社会的な終息という面もあるのかもしれない。
ただし、ペストはいまも完全に消え去ったわけではない。現在は、抗生物質での治療が確立しているが、ペストの感染はいまでも人々に恐怖を与えているといわれる。
社会的な終息の代表例「スペインかぜ」
社会的な終息の代表例といえるのが、スペインかぜだ。
スペインかぜは、1918年にアメリカを起点に流行が始まったインフルエンザだ。世界全体で5000万人から1億人が死亡したといわれる。犠牲者は若者や中年に多かったという。
流行の時期は、第1次世界大戦と重なり、病気で多くの兵士たちの命も失われた。アメリカでは、公衆衛生当局の担当者や執行官、政治家の間で病気の深刻さを過小評価する動きがみられた。その結果、流行を伝えるマスコミの報道は少なくなった。
これには、感染拡大のニュースが敵国を奮い立たせる恐れがあったことや、社会の治安を維持してパニックを避ける必要があったことなどが、その理由として考えられている。その後、感染症は徐々に消えていき、毎年あらわれる弱毒化したインフルエンザに変わっていった。
スペインかぜは社会的な終息を迎えた。第1次世界大戦が終わり、人々が新たな時代に眼を向ける中で、感染症や戦争の悪夢を忘れ去ろうとしていたことが、その背景にあるとされる。